国も会社も組織と呼ばれる共同体なんだと実感した記事でした。
国も会社も組織と呼ばれる共同体なんだと実感した記事でした。
色々感じることろは多くありましたので、思考の広がりを止められませんが、それでも大きなポイントは残したいと思います。
違いの認識
やすひさは、日本青年会議所という団体に所属しているのですが、2008年にアジアネットワーク委員会というアジアを一つにというイメージで活動を行うチームに配属になりました。
その際に、相互理解スクールという事業を行ったのですが、いくつかの国の小学生たち同士が自分の国と他の国では文化も考え方も違うんだ。違っていいんだ。違うのが当たり前なんだ。という考え方を学ぶ場を提供するものでした。
やすひさは、もちろん頭では分かっていたのですがいざ事業として動かしたら、それはそれは驚きます。
子どもたちの驚きに驚きます。
「え?そんなに違うの?」
(子どもたちにはそこまで驚くようなインパクトのあることだったのか)
実感しました。
きちんと真に理解できるかということです。認識では甘いくらいのイメージです。
分っているようでわかっていないことはとても多いです。
違う文化同士は一番小さな世界でいえば、自分と他人、人と人でも同じことが言えます。
【人間関係と同じ】
社会に生きている私たちの問題は、大抵【人間関係】が原因の一つです。
自分と違う他人との社会を築いていくには、色々と摩擦が起きざるをえません。
これには素晴らしい特効薬があるのですが、それは一番下の無料メール講座の一つの講義でお話ししています。
国を一人の人として考えた場合、脳内メーカーでしたっけ?色々な考えが点々とありましたよね。
エロいこととか、食い物のこととか、そんなやつ。
これですね。
「遊」とか「秘」とか、が我々個人でまとまったら一つの脳ミソって感じ。
これは組織論にも言えるのですが、組織が動く際、みんなバラバラに動いたら大体崩壊しますよね。
だから組織が崩壊しない程度に自分のやりやすい方向にそれぞれが引っ張り合いをします。
最終的には強い(発言)力の方に行きながら、なんとなく方向が整っていく。
こんな感じでしょうか。
一つの体で共存しているわけですから、なんとなく緩やかにまとまっている。
特にこの日本という人は、体は小さいのにメチャメチャ気合が入っていた昔のヤンチャな時からだいぶ角が取れて、事なかれ主義なんて言われたり、お金で解決できるものならしちゃう主義なんて言われようがお構いなしで、自分たち身の回りがダラダラとしていようが、ノンベンダラリンとしていようが、とにかくトコトン平和を望んでいる人のようです。
ぶん殴られたら、そりゃ昔から気合が入った頑張り屋の日本さんですから、殴り返したくなりますが、今はもう大人です。
戦争しようが小競り合いをしようが、結局殴った後も話し合いをして解決するんです。
ということは、最後には話し合いをしないと解決はできません。
人間同士がわかりあう為には話を続ける必要があり、交渉というか譲り合う必要が出ています。
できたばかりの体が大きな血気盛んな若者も、大人にいっぱいコンプレックスがあろうが、最後は話し合いです。
国でも組織でも人でも、相手を理解して自分が行動すれば、結果和平がみえてくると思います。