哲学/スピリチュアル

「祈り」とは4種類存在する

快調な会長、やすひさてっぺい です。

やすひさがよく講演なんかでもお話しすることがあるのですが、

祈りには4種類存在します。

これはやすひさがインディアンの修行に勤しんでいた時に教わり、その修行の中で理解したものです。

これはインディアンの神様「ワカンタンカ」にも祈りますが、日本の八百万の神様にも同じ様に通じます。

インディアンと日本人の共通点

というのも、インディアンが崇拝するのはかつての日本と同じ、精霊崇拝(実際は自然崇拝、自然が起こす現象を精霊そのものとして捉える考え方)が根底にあるので、至る所に神様がいるという考え方なので、同じ感覚で祈ることができます。(八百万の神の源)

そもそも、やすひさはそう感じるのですが、日本人ってなんとなく「お天道様は見ている」とか「八百万の神様が」って普通に感じていると思うのですよね。

その感覚って、今の日本で学びたいと思ってもどこにもないし、体系化されたものは見当たらなかったんですよ。

戦後の教育制度の変更なんかで、これ自体はどうしようもないし、特に怒っているとかではないのですけど、「無い。じゃあ終了。」っていうのは困るじゃないですか。

なので、必要に迫られて日本の源流的思想や感覚をきちんと体系化できているものは無いかと探した結果、インディアンに行き着くわけです。

アニミズムがきちんと今も伝わり続けているのは、ミクロネシア諸島とか日本ではアイヌとかなのですが、体系的かどうかすら情報を得られず、その点なぜかインディアンの情報は日本では得やすかったので、調べていきます。

で、色々インディアンの修行を体験していった中で、得られたものの一つが「祈り」だったわけです。

祈りの4種類

祈りには4種類存在します。

ちなみに先に言っておきますが、この4種全てを祈らなきゃいけないとかはありません。

1種をいくつもでも、数種祈ったって問題ありません。

願うこと

これはよくお参りするときにする祈りですよね。

一番オーソドックスな祈りかと思います。

その名の通りお願いをして、それを聞き入れてもらうことです。

感謝すること

最近はこの祈りも当たり前になってきている気がします。感謝すること。

お参りに行くと

「お願いしちゃいけないんだよ」「感謝を伝えるんだよ」

なんて、聞こえてきたりします。

実際はお願いしちゃいけないなんてことはなくて、神様にお願いすることは罪ではありません。

ただ、聞いてくれ易い神様と、なかなかそれができない神様がいらっしゃったりするので、相手によって祈りを変える必要はあるかもしれません。

因みに、神宮(伊勢神宮)の内宮(ないくう)は世界平和を祈る場所ですので、個人のお願いはなかなか聞き入れることは難しいです。外宮(げくう)ではバッチリきいてくれるはずです。

訪ねること

これは今の日本では忘れられた祈りでは無いでしょうか。

訪ねること。

これも祈りです。もしかしたらピンとこないかもしれません。

ただ、これは本当に大切な祈りです。

「自分はこうなりたい。でもどうすればいいかわからない」
「今の自分はやだ。こういう自分になりたいけどさっぱりわからない」

自分の中にある想いの先は、自分で明確にすることができないことがあります。

無理やりこうだと決めて進めたとしても、そこにはやはり迷いが出ます。

そのモヤモヤした気持ちをそのまま神様へ届けることで、まあ「啓示を受ける」とかはほとんどの人は無いと思いますが、自分の顕在意識ではわからないことでも、神様に祈るという行為で明確にそれ(モヤモヤ)があると(顕在意識・潜在意識 両方で)認識でき、結果、自分の潜在意識から「こうなんじゃないかな?理由はないけど」という方向性が見出されるとやすひさは考えています。

「困った時の神頼み」
(でも本当は自分の潜在意識or本当に神様から)

は、この「訪ねる」という祈りが一番しっくり来る気がします。

コミットすること

これはほとんどされることのない祈りなのではないでしょうか。

約束というとそこまで強いものではなく、言い切るが一番近い日本語でしょうか。

「私はこうします!」
「私はこうなります!」
「私はこれを実現します!」

約束の様ですが、別に守られなくても誰も困らない。けど、言ったんだからやらなくちゃ。
(実際は言ってはいない、心でつぶやいているだけ)

という、とても曖昧で厳しくも優しくもできる祈りです。

ただ、これの祈りはとても強力で、自分の行動をそっちの方向に持っていくことができる祈りです。

やはり「言ったからにはやりたい」気持ちが芽生えるので、その気持ちのままに進めるだけで、自分の願いが叶う方向へ進みます。

やすひさの祈り方

やすひさは神社巡りが趣味ですが、この4種類の祈りを状況に応じて組み合わせて祈ります。

ただ、やすひさは経営者なので会社のことを祈ることが多く、やはり最後のコミットすることを主軸に祈っている気がします。

「会社をこうやってこうしてここまでにここまでこうします!」(めちゃくちゃ具体的に)
(できるかわからないけど)(=コミットすること)

で、最後に「実現できる様、後押しをお願いします」(=願うこと)

って祈っている気がします。

全部を神様頼みにするのはまず難しいと思っていて、「これはやりますから、後の運的な要素はなんとかお力添えください」という形で、お情けを頂戴する形でお願いをしています。

だって普段もそうじゃないですか。

「あれやってください」
「これやってください」
「そうじゃなくってこうです」

みたいなことばっかり言ってくるやつの依頼って、何となくやりたくないじゃないですか。

「ここまでこうやるので見ておいてもらえませんか?」
「これは自分が頑張りますので、あとはお願いできませんか?」

って言われたら、(なんか頑張っているなぁ)って応援したいじゃないですか。

さらに、

「いつもありがとうございます」
「この前の件、ありがとうございました」
「本当に〇〇さんには感謝しています」

って言葉がつこうもんなら、

(お前の頼みなら聞いてあげちゃうよ)

って気になると思うんですよね。

人間関係だってそうなら、神様との関係だってそういう方向な気がするんですよね。

ぜひ、祈ること、考えてみて下さい。

神様への祈りはできている気がするけど、人に対してできているか急に不安になるやすひさでした。

ABOUT ME
やすひさてっぺい
一般社団法人日本唐揚協会会長兼理事長。ケーアールジー株式会社代表取締役。1996年 学生時代にITで起業し、WEB制作、アプリ制作、システム開発など多岐に亘る仕事の傍、唐揚げが好きで「唐揚げ唐揚げ」言い続け、現在20万人の会員を有する日本唐揚協会を創設。唐揚げに関わるコンサルティングやITを活用したコミュニティ構築、協会構築の応援をし続けている。