ヨルシカ考察

ヨルシカ考察『忘れてください』は『アルジャーノン』の返歌

少しずつ、考察を書き足していこうと思います。

前提

まず最初に、ここで書かれたことはやすひさが勝手に解釈した1つの考察だと思ってください。

なので、異論反論は全てOKの独善的考察であることをご了承の上、読み進めてください。

前書き

2024年7月13日にヨルシカより『忘れてください』がリリースされました。

とても悲しい曲で、僕をわすれてください。と繰り返し伝えている歌です。

で、これは『アルジャーノン』の返歌であると考察が可能です。

ちなみに、ヨルシカはお互いの思いをそれぞれの歌にするということで表現する場合があります。

例えば「藍二乗」に対して「憂一乗」や、「八月、某、月明かり」に対して「夕凪、某、花惑い」などそれぞれの返歌として物語が形成されています。

なので、この『忘れてください』という歌も『アルジャーノン』の返歌、対になっていると考えています。

そんな前提で、、、

歌詞の解釈

最初の一行目の詩にいきなりこうあります。

 

「僕に心を、君に花束を」

 

とてもわかりやすい直接的な表現です。

『アルジャーノン』という歌は『アルジャーノンに花束を』というダニエル・キイスのSF小説をモチーフにしています。

この題名の由来は、エンディグでアルジャーノンに対して花束を手向けるシーンを指した題名であります。

つまり、人は「亡くなる」と記憶が「無くなる」ことに対しての二重表現であり、心が亡くなると書いて「忘」ことも含めた三重表現が示唆された、「君」=アルジャーノンに対しての歌ということになります。

ちなみに、心+有の漢字は「㤢」です。
意味は「胸騒ぎがする。動揺する。」
一緒にいる間は、安らぎと離れてしまう恐怖が入り混じった胸騒ぎがあったのかもしれませんね。

ここを掘り下げる前に、そもそもヨルシカの歌の解釈で押さえるべきポイントとして「二人称をどう呼んでいるか」で誰が誰に歌っている歌なのかが見えてきます。

『忘れてください』の登場人物は「僕」と「君」、二人称は「君」です。

『アルジャーノン』の登場人物は「僕(ら)」と「貴方-あなた-」、二人称は「貴方-あなた-」です。

つまりこの歌は、「僕」が「君」=「アルジャーノン」への歌であると見ることができます。

さらにいうと、ヨルシカが紡ぐ歌の登場人物は相手を「君」と呼ぶ「エイミー」と、相手を「あなた」と呼ぶ「エルマ」の2人の物語からスタートしており、その関係が時を越えて生まれ変わりを繰り返しながら、連綿と続く物語を綴った抒情詩的手法で作成された詩歌であります。

そう捉えてこの歌を聞くとエイミー(の生まれ変わり=僕)が、記憶を無くしていく(生=心を亡くしていく)エルマ(の生まれ変わり=君)へ、「忘れてください」と悲しみの中で歌っている歌として捉えることができると思います。

その上で、歌詞の続きを見ていきましょう。

 

「揺れる髪だけ靡くままにして」

 

君は女性であることを示唆しています。

エルマは一人称を「僕」と言いますが、オフィシャルの動画などで女性として描かれていますので、やはりここでもエルマへの歌であることを伝えています。

ちなみに、エイミーもエルマも一人称を「僕」と呼ぶのは、登場人物を分けて聴くなんてことをしなくても聞き手に違和感を与えない配慮と考えています。

その上で、ある仮説が浮かびます。

『第一夜』でのあの悲しい歌の内容は、記憶(心)を無くしていく(亡くしていく)エルマが、エイミーの面影を思って綴った詩なのではないかと。

この考察は改めてするとして、先に進みます。

 

「箱の中の小さな家の」

 

箱というのは、人間がものを考える上での箱、頭蓋骨というと直接表現過ぎますが、

「頭の中」の比喩になります。

『アルジャーノン』でも迷路を箱として捉え、その中を彷徨う様なPVの表現がありますが、そこをかぶせる比喩表現としてとらえることができます。

 

「二人で並んだキッチンの」
「小窓のカーテンの先の思い出の庭に」

 

『アルジャーノンに花束を』では、主人公であるチャーリィ・ゴードン(この詩の関係性で言えばエイミー)とアルジャーノン(この詩ではエルマ)は二人は禁断の知恵の実(『アルジャーノンに花束を』ではアルジャーノンとチャーリィは脳の手術をしてとてつもなく頭が良くなっていく。ことの比喩として)を食べたアダムとイブをオマージュであると捉えることができますが、その二人が苦楽を共にし、二人だけの楽園だった二人の思い出の場所を意味するところです。

 

「春の日差しを一つ埋めて」
「たまには少しの水をやって」

 

大切な思い出を二人で育んできたけれど、本当に少しで良いのでそこに水を与えて思い出してほしい。そんな小さな祈りを込めた、比喩表現と捉えられます。

 

「小さな琵琶が生ったとき忘れてください」

 

ここはさまざまな解釈ができると思います。
季節で言えば秋になるでしょうか。
季節はヨルシカ考察する上でとても重要なものであるので、夏の終わった後=秋という解釈もできると思います。

その上で、やすひさ的にはこれは時間をも直接表現した二重表現で解釈しています。
『春泥棒』などを代表する春の歌から、ヨルシカの代表曲が多い夏の歌、そしてそれが過ぎた後の秋を歌ったと捉えつつ、
琵琶は実がなるまでに8年から10年の歳月が流れます。
少しずつ8年〜10年の歳月をかけて記憶(思い出、心)を亡くしていくエルマに対しての亡くして欲しくない慟哭と、その悲しみの涙が形(琵琶の実の形)が成してしまう時、二人の思い出や共に歩んだ時間が亡くなることを意味していると解釈しています。

 

「僕に 僕に 僕に」
「僕に心を、君に花束を」
「揺れる髪だけ靡くままにして」

 

一行目でもでてくるこの歌詞にある「心」は『アルジャーノン』でも一行目に「心をくれた」と表現された大切な詩です。
お互いが愛し合い、お互いがお互いに心をくれた大切な大切な相手であったということを表現していると思うと、目頭が熱くなります。

 

「僕に言葉を 君に鼻歌を」
「長い長い迷路の先に置いて」

 

エイミーの「言葉」は、エルマが幾度となくその言葉の素晴らしさ讃え、愛していたことを他のヨルシカの歌で何度も綴られています。そのエイミーの言葉を与えていたのがエルマだった。
そのことをそのままの表現で伝えています。
そしてそれを聞くエルマが鼻歌を歌っている、そんな思い出が涙の比喩である琵琶が生る頃に亡くなるのです。

ちなみに「鼻歌」は『八月、某、月明かり』の中での葛藤を表現する中で、それでも大切にしていた君(エルマ)への想いを断ち切る表現の中に「鼻歌」も全部いらないと表現されていたり、『嘘月』内では「君の鼻歌が欲しいんだ」とエルマの鼻歌を愛おしく思っているエイミーが描かれています。

「長い長い迷路の先」も『アルジャーノン』で表現されている詩です。
この『忘れてください』が『アルジャーノン』の返歌ということに気がつくと、お互いがお互いを思い遣る気持ちが表現されていることがわかります。

 

「一つ一つ数えてみて」
「あなた自身の人生の」
「あなたが愛したいものを」
「何もないのかい?」

 

これはエイミー(僕)がエルマ(君)に対して、過去を問うています。
少しずつ亡くなっていくエルマに対して、すがる様な想いで、その中の一つでも自分との思い出があることを望んで、でも無いかもしれない、今にも泣きそうな想いが詰まっています。
なので、その後に、

 

「僕に 僕に 僕に」
「僕に」
「僕に」
「僕に」

 

僕に(教えてよ。少しでも僕がいたことを思い出してよ。お願いだから)
悲痛な感情が伝わってきます。

やすひさも同じ様な想いをしていて、これを書いている最中も涙が出てきます。
私事を差し込む様で恐縮ですが、やすひさの場合は恋人やパートナーではなく、父です。
父はが痴呆になり、少しずつ壊れていく父をそばで見ながら、それでも一生懸命父と接してきたやすひさを誰だかわからなくなっていくのを見て、張り裂けそうなほどの悲痛で、一人大声で泣いていたのを思い出します。
エイミーをみるエルマが愛した人をわからなくなっていく悲痛は、本当に苦しいだろうと涙がでます。

 

「海のそばの小さな駅を」
「歩いて5分の海岸の」
「僕と見た翡翠の色も」
「忘れてください」

 

これはかつて一緒に過ごした、前世の記憶も混ぜて二人の関係性を示唆しているのだと思います。
『ただ君に晴れ』のMVを彷彿とさせます。
翡翠とは海の比喩であると共に、『左右盲』で幸福の王子から取られていく宝石を連想させる宝石(左右網の歌詞に翡翠は登場しない。エメラルドより透明度が低い)を置くことで、『左右網』との関連性も示唆しています。
海岸を強調することで、「あの海岸」をイメージさせ、海岸で海を見るのは当たり前なので、ここはあえて「翡翠」としたのではないかと考えます。「エメラルド」とすると、「エメラルドグリーン」の「海」と連想しやすい為、敢えて「翡翠」なのだと考えます。

 

「僕に心を、君に花束を」
「揺れる髪だけ靡くままにして」
「僕に言葉を 君に鼻歌を」
「長い長い迷路の先に置いて」

 

もう一度、強調します。
そして、

 

「箱の中の小さい家で」

 

かつて(過去、前世)の記憶の中で、

 

「朝の日に揺れるカーテンを」
「開けた静かな休日の寝起きの君が」

 

MVでみる『第一夜』の映像が目に浮かびます。
『第一夜』との考察は改めますので今回は省略。

 

「寝ぼけ眼で座ったその」

 

『第一夜』での映像の流れとみつつ、
『ノーチラス』の中の歌詞で「寝ぼけまなこの君を、忘れたって覚えているから」と当時(当世)自殺をする直前に約束をしたエイミーの想いがここにも現れています。

 

「朝のダイニングテーブルに」

 

ダイニングテーブルで連想するのはやはり『左右網』のMV。
二人の幸せだった時間の象徴としてダイニングテーブルで表現しています。

 

「僕の心があったこと 忘れてください」

 

本当に僕は『嘘月』ですよね。
本当は忘れないでほしい。でも、君は忘れていってしまう。
だからせめて僕の言葉だけ、君が愛した僕の言葉だけは、僕が望んで君が忘れるという形にさせてほしい。
僕の心はずっとある。ここに。君と共に。でも、どうか忘れてください。
君は僕を悲しませてはいない。
僕が望んだことなのだから、僕が悲しむわけがない。
だから、安心して全てを亡くしていってください。

この最後の一行は、僕(エイミー)の悲しくも強く優しいメッセージで締め括っています。

以上です。

この考察、解釈であなたの『忘れてください』を聞く聞き方が実り大きものになってくれることを祈っています。

ABOUT ME
やすひさてっぺい
一般社団法人日本唐揚協会会長兼理事長。ケーアールジー株式会社代表取締役。1996年 学生時代にITで起業し、WEB制作、アプリ制作、システム開発など多岐に亘る仕事の傍、唐揚げが好きで「唐揚げ唐揚げ」言い続け、現在20万人の会員を有する日本唐揚協会を創設。唐揚げに関わるコンサルティングやITを活用したコミュニティ構築、協会構築の応援をし続けている。