演劇『Bedroom』を見て来ました。
『Bedroom』
作 磯部美波/藤田澪/山内琉大
構成・演出 上村陽太郎
企画・出演 穂高
ガン泣きしました😭
一人芝居の形式で、屋外での公演はあまり体験したことはありませんが、ここまで心に届くのか、響くのかと感動しました。
作品の背景(期待値)
今回のメンバーが日大芸術学部の上澄のトップクラスの才能が集結しているといっても過言ではない、豪華な布陣で一つの舞台を作っているというのが期待をが得ざるを得ません。
脚本が3つのオムニバスで、
1つ目の『CELL』で、「ひなたごっこ」主催の藤田澪作。
2つ目が『happy mile mudei』で、「らなうぇい」主催の磯部美波作。
3つ目が『グースーピー・パン』で、「ピトゥール」主催の山内琉大作。
それぞれがそれぞれの世界観で主催できる力のある劇作家が集結しているだけでもすごいのに、それを構成・演出するのが、第15回せんがわ劇場演劇コンクール、豊岡演劇祭2025を勝ち取った「よた」主催の上村陽太郎氏。
期待せずにはいられません。
で、この作品の企画・出演はそのせんがわ、豊岡で「よた」メンバーとして参加し素晴らしい演技を披露しつつ、Youtubeチャンネル「街の明かり」やくるめラでラジオパーソナリティなどを展開するソロプロジェクト「街の明かり」主催の穂高氏の初めての一人芝居ということで、大いに期待していきました。
公演について
解説があったので、こちらを転載
本作は、俳優自身の不登校体験をもとにした一人芝居です。
「俳優はどう演劇を始めるか」という問いから始まり、「俳優が自らの記憶を語ること」を軸として、この先品は作られました。
語られた記憶や感情は、3人の劇作家と一人の演出家の目線を通して、『Bedroom』として再構築されます。
ひとつの記憶を多角的に照射し、それを上演の中で再び俳優自らの身体に引き受けることで、記憶はひらかれ、共有されていきます。
そもそもが面白い視点での制作だと思います。
自分の記憶を3人の作家に伝え、そこからできた作品を演出家が再度構成をし、それを自分で演じる。
自分なのか自分じゃないのか、見る方も、それが演者なのか作家なのか演出なのか自分なのかの境界線が曖昧になり、結果、その気持ちや感情だけが自分の中に残るという、なんとも斬新な作り方に感心しました。
内容について
いつか、再演を待ち望みます。
フィクションとノンフィクションが入り混じらせることで、その時の心や願いや祈りみたいなものを、濾過して、純粋なものだけを集めた様なイメージの作品でした。
穂高氏の演技力がゆえなのか、当時の感情の起伏やその時その場の情景が鮮明に浮かび、高校生の穂高氏、小学生の穂高氏、少し前の穂高氏の当時の感情がグルグルとやすひさの心を動かしました。
CELLでは怖いくらい情景が浮かび上がり、穂高氏の苦しくても前に向かう姿に涙がでました。すごく「ありがとう」が浮かんでくる、澪さんらしい、優しくてふんわりした素敵な感覚に包まれていました。
happy mile mudeiでは、元気いっぱいやってくぜ!ってな雰囲気なのになぜかすごく小さな姿の穂高氏が見えて、幼少期の元気一杯と小学校に上がった時の軋轢の中で自分を隠し人に合わせている健気さを感じ、不思議と涙が決壊しました。
グースーピー・パンで「大嫌いなお父さん」で潤っていた心がサッと引くのを感じました(笑)
なんでしょうね。面白いですよね(笑)自分が言われた気になってなんか引くって、、、
「演劇だからね」って没入から抜けそうになったのを必死に止めて見てました。Bedroomに閉じこもった心とやすひさの引いた心がシンクロしていくのが妙に怖さを感じつつ、全体の統一性で整うみたいな変な感じでした。
これらの記憶を開示し作品にすることで、自分の何かを定めたのか、置いたのか、そこから飛躍のためのしゃがみ込みなのか、とにかくすごい意味合いの深い場面に立ち会えた様な感覚が心を掬い刺してきます。
やすひさもここ10年くらいは自己開示を意識して生きていますが、それを芸術の粋に持っていくことは一生できないと思っています。
それが20歳そこそこの子供達が、いとも簡単にこんなすごい心を動かす芸術作品を作り上げてくることに感動をし、才能に感嘆します。年齢じゃないんだよな。
観劇後、最後になぜか残ったのは、日も沈んだのに新しく始まる朝の様な清々しさと、新たな決意に向かう勇気のようなものでした。
やすひさも今できることを一生懸命頑張りたいと思いました。
とりあえず、2025年10月からスタートした『(仮)教えてやすひさ会長』を頑張って形にしていきますよ。