開催:2026/09/06 18:02〜
上演時間:60分
会場:カフェムリウイ屋上劇場
クリエイション:
企画・主催・原案・出演:こっちゅん
構想:山内琉大
空間:旦妃奈乃
宣伝美術:ぴー
舞台監督:上嶋葵
当日運営:小林誠強、穂高
最初の感想は、とにかくすごい迫力だったということ。
主演のこっちゅんが、演技とダンスの間というか、とにかくすごい勢いでした。
内容的にはすごく面白い切り口で、色んな時代の中での自分を演じるという役だったんだと解釈しています。
あらゆる時代のあらゆる角度で、ひとつの鳥籠の中でずっと演じ続けている主人公が、色んな伝え方、色んな表情、色んな動きで、過去世や未来世といったあらゆる自分を演じていました。
それを見ながら思ったのは、この鳥籠は地球であり、その地球に囚われた魂の話なのかなということです。
都市伝説のような話や動画などで、「地球は宇宙の中の魂の牢獄である」という都市伝説的な話があります。ですが、実はこれは結構本当なのではないかと考えています。
というのも、過去の人類の中でこの輪から抜け出せた人というのはほんの一握りしかいません。例えばブッダやキリストのような聖人と呼ばれる人たちはその域に達していて、いわゆる「解脱」という状態になれた人たちだけが、地球の中で循環している魂の輪から抜け出せているのではないか、それを「解脱」と呼んでいたのではないかという仮説を持っています。
ブッダの教えも、キリストの教えも、老子も、こういう概念を言葉を変えて伝えているのではないか?と考えています。
地球が魂の牢獄だと言われる中で、実感としても魂は地球上を循環しているように思えます。たまに前世が分かるという人がいますが、それを嘘だと切り捨てるのは簡単だとしても、仮に信じたとして「前世で宇宙人だった」という人は、正直見たことも聞いたこともありません。そういった逸話すらどこにも転がっていないのは、少し不自然に感じます。
草花などの記憶は残らない可能性もあるので分かりませんが、いずれにしても、私たちは地球という舞台の上でずっと輪廻を繰り返しているのではないでしょうか。
それが修行なのか苦行なのかは分かりませんが、そうした過程を経て最後には解脱を目指す、というような世界観がベースにあるのではないかと考えています。
この舞台を見て聞いて体感しながら、自分はこれが解脱への物語なのかなと感じて見ていました。
あらゆる時代のあらゆる個、一人の人間を照らし出して、本当にあらゆる角度から人生の悲喜こもごもをすべて伝えてきていたんですよね。喜びなどはあまり表現されていなかったかもしれないけれど、いろんな苦しいことなどが重なって、その魂の記憶を積み重ねていっているような形として私には読み取れました。一人の人間の「魂の記憶」のようなものだと感じています。
それが今回の演劇が伝えていることで、最後に主人公が宇宙へ旅立ってしまうんですよね。最初の頃には「人間に生まれてきてよかった、ああよかった、ハレルヤ神様」と言っているんです。地球と宇宙、そして神と解脱。こういう角度で演劇を見ながら、私自身の記憶というか感覚が呼び起こされたのは初めての体験でした。
最初は意味がよくわからないまま観ていたのですが、話の途中でシーンが変わるたびに「次、次」と劇中で言葉が入るんです。よくプレゼンテーションでスライドを送る人に向けて「次」と合図を出すような形で、演技の中でそれを発していて「これはもしかして段取りのミスかな」と思わせといて、全然違いました。その「次」という合図で世代や過去、未来などを区切り、次々と異なる場面を演じ分けているという仕掛けだったんですね。
世界観が分かってくるにつれて、「地球は魂の牢獄である」といったやすひさが感覚的に理解しているものが強く呼び起こされ、演技を通じて頭の中ではずっと自分自身の魂について考える時間になっていました。仏教の教えやキリストの教え、古くからの中国の教えが次々と湧いて出るなんてことは滅多にない経験です。
もし他で上演される機会があるなら、一度観ておくと、自分なりの魂のあり方や、あらゆる場面展開・時間軸について改めて思いを巡らせる時間になるのではないかと思います。
とても良い時間でした。ありがとうございました。
あ、なぜか途中で「合唱タイム」というのがあって、お茶菓子が出てくるんですよ。
これには度肝を抜かれました。
主役が一幕で大きく歌い上げだして、これも演技なのだろうと思っていたら歌い上げている最中になぜかスタッフがお茶菓子を差し出して、「合唱タイムなんで」と当たり前のように「これはこういうものです」みたいな感じで伝えられて。これまた不思議な、そして面白く貴重な体験ができました。
一人で歌い上げているので合唱ではないのが、妙にシュールで面白かったです。