唐揚げとは
唐揚げの歴史
≪唐揚げのはじまり≫
「からあげ」は「唐揚げ」または「空揚げ」と書きます。江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理では「唐揚げ」と書いて「からあげ」または「とうあげ」と読みました。(※1)しかし、普茶料理でいう唐揚げは現在の唐揚げとは違うもので、「唐揚げ」とは、豆腐を小さく切り、油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たものと紹介されています。(※2)現代の唐揚げに近い、魚介類や野菜類を素揚げにしたり、小麦粉をまぶして揚げたりする料理法を、「煎出(いりだし)」「衣かけ」と呼んでいました。(※3)
≪唐揚げの外食メニュー登場≫
現代の「唐揚げ」が外食メニューに登場したのは昭和7年ごろ、現在の(株)三笠会館(東京・銀座五丁目)の前身「食堂・三笠」でのことです。 三笠会館は大正14年創業。当時は、東京・京橋木挽町に「かき氷屋・三笠」を開店しました。その後、店はカレーやサンドイッチなども扱う「食堂・三笠」となり昭和2年には歌舞伎座の前の三原橋側に移転、昭和7年には銀座一丁目に鶏料理専門の支店を開業するまでとなりました。ところが支店は営業不振となりその赤字は本店にも打撃を与えるほど大きくなっていき、当時の料理長がこの営業不振をなんとかしようと知恵を絞り、打開策として考案したメニューが「若鶏の唐揚げ」でした。 唐揚げの外食メニューの登場です。
≪唐揚げの聖地、専門店発祥の地≫
唐揚げは日本独特のもので、戦後食料難に備え養鶏場を多く作るという国の政策の下、美味しい食べ方が色々な形で発展していき、唐揚げも多く食べられるようになりました。唐揚げが食卓に多く見られるようになったのは、ここ30~40年のことです。その中でも多くの養鶏場があった大分県北部(中津市・宇佐市など)では、特に唐揚げを愛する文化が根付き、大分県中津市は市内に60店以上の唐揚げ専門店が並び、鶏の唐揚げの「聖地」として全国の唐揚げファンから支持されています。また、昭和30年代、宇佐市「来々軒」から唐揚げの作り方を受け継いだ唐揚げ専門店「庄助」は、日本で初めて唐揚げ専門店として店舗展開し、宇佐市は「唐揚げ専門店発祥の地」として中津市と同様に唐揚げファンから支持されています。
≪歴史300年?最も古い?せんざんき≫
愛媛県今治市では、郷土料理として「せんざんき」が食されています。これは呼び方こそ違えど「唐揚げ」です。「藩政時代、近見山のキジを捕まえて揚物にした」「藩政時代に、千さんという人が考案したので『せんざんき』という」ところが様々な文献史料にも「せんざんき」「キジ」に関する記述はなく、今治藩家老だった江島為信の婚礼料理の記録に「焼鳥」が記載されているため、歴史があると信じられたのではないかというのが通説です。(※4)
※1 『日本料理由来事典』(同朋社)
※2 『普茶料理抄』(1772年)
※3 江戸時代初期の料理書『素人包丁』(1803年)
※4 取材協力:土井中照氏